こんにちは。はじめです。
新緑の美しい季節になりました。
お散歩するのが楽しい季節。
今回は文京区「鼠坂史跡お散歩ルート」のお話です。
スタート
東京メトロ有楽町線「護国寺駅」からスタート。
5番出口を出ると、目の前は音羽通り。
そして「講談社」があります。
講談社を正面に見て左へ、音羽通り沿いに歩くとすぐ見えてくるのが「群林堂」。
原宿の「瑞穂」、泉岳寺の「松島屋」と並び、「東京三大豆大福」の一角としてその名を知られる老舗和菓子屋さんです。
お味は折り紙付き!
文京区に住んでいた頃、何度か豆大福を買いに来ました。
いつ買いに来ても行列で、開店前に買いに来ても列ができていました。
今日も10名ほどの行列ができており、和服姿の女性もいらっしゃいます。
11時前なのに、行列が途切れない!
相変わらずの人気ぶりです。
そんな群林堂を後にし、二つ目の信号を過ぎて少し行くと左側に見えてきたのが「鼠坂」。
鼠坂

「おとわ薬局」とイタリアンレストランの間から見える、見落とし注意の狭くて急な坂道です。
江戸の人々は、「鼠でなくては通れないほどの狭くて急な坂道」をよく「鼠坂」と名付けた
「タモリのTOKYO坂道美学入門」より引用
というのも納得できます。
自転車も押して上り下り。
みんなが一歩ずつ歩む坂。
健脚なご老人が私の前を、歩いて行かれます。
坂の両側は、閑静な住宅街。
生活に根ざした味わい深い坂道を上っていると、こんな表示がありました。

ほう。
表示の写真を撮っていると、後から坂道を上って来られた女性も写真を撮っていらっしゃいました。
目が合い、お互いにっこり。
自然と会話が始まります。
関西からイベントで来られたという女性は、時間調整のためこの辺りを散策していたとのこと。
音羽通りからちらっとみえたこの坂が、「ドラマに出ていた坂では!?」と思い、上ってきたそうです。
ドラマに疎い私にはわからなかったのですが、撮影に使われていてもおかしくない坂です。
しばし雑談に花が咲き、群林堂の豆大福をおすすめしたところでお互いその場を後にしました。
自転車も漕げない、急で狭い坂道。
人と人との距離が近いので、交流も生まれやすいんですね。
人が通るだけでなく、心も通う坂道。
SNS全盛の昨今。
実際の人との交流が疎遠になりがちな現代。
足を止め、見知らぬ人と会話することが、「豊かな時間」だとしみじみ感じました。
鼠坂を上りきったところで、右へ曲がります。
「TOKYO坂道美学入門」(以下、本)を見ると、この先に「鳩山会館」があるようです。
閑静な住宅地を進んでいくと、「鳩山」の表札がかかったお宅があります。
一族でこの辺りにお住まいなのかしら。
そろそろ鳩山会館に着くはず、と右手の塀を見ていると、なんとそこは鳩山会館の裏口。
鳩山会館へは表門からしか入れないようです。
さっき上って来た鼠坂を下り、音羽通りに出たら左へ。
鳩山会館
少し歩くと、進行方向左側に見えてきました。
「鳩山会館」の大きな表門!
敷地内は、緑豊かな上り坂がカーブしながら続いています。
小鳥の鳴き声を聞きながら坂道を上って行くと・・・

素敵な洋館が姿を現します。
音羽通りからは、こんな洋館があるとは思いもよりませんでした。
大人1人800円の入場券を購入し、中へ入ります。
鳩山一郎と薫の住居として、1924(大正13)年に完成。(入場券説明書き引用)
という、歴史を感じる建物です。
洋館を飾るステンドグラスや、二階のボールルームも目を見張るほどの美しさ。
また、広いお庭もバラの花が植えられ、鳥の声を聴きながら散策すると穏やかな気持ちになります。

そう。
ここが車通りの多い音羽通りのすぐ近くだとは思えないくらい、車の音がほとんど聞こえません。
聞えるのは鳥の鳴き声。
しばらく鳩山会館でリフレッシュした後、次の坂に向かいます。
八幡坂
来た道を後戻りし、再び鼠坂を上ります。
先ほど来た鳩山会館の裏口を通り過ぎると現れたのが「八幡坂」。

階段とスロープからなる坂道は、鼠坂にも負けないくらい勾配があります。
坂の表示によると
明治時代のはじめまで、現在の今宮神社の地に田中八幡宮があったので、八幡坂とよばれた
とのこと。
八幡坂を下りると左側に、名前の由来となった田中八幡宮の地、今宮神社があります。
服部坂
音羽通りに出て左折。
そのまま音羽通りを進み、二つ目の信号をまた左折。
道なりに進み、二つ目の信号を左折して現れたが「服部坂」。

坂の表示には
坂の上には江戸時代、服部権太夫の屋敷があり、それで「服部坂」と呼ばれた。
~中略~
坂下にある旧文京区立第五中学校はもと黒田小学校といい、永井荷風も通学した学校である。戦災で廃校となった。
とあります。
文京区は文豪と縁のある土地ですね。
さて、南に面したこの坂は陽当たりの良い坂です。
12時半という時間もあいまって、本当に明るく気持ちよい坂道。
ここが「小日向」という地名なのも納得!
勾配もあり、長い上り坂ですが、歩くのが楽しいです。
坂の両側は閑静な高級住宅地。
しばらく歩くと、左手に「新渡戸稲造旧居跡」の表示がありました。
新渡戸稲造についての説明が書かれています。
茗荷谷駅近くにある拓殖大学の学長もされていたんですね。
文豪だけでなく、教育者・博士とも縁が深い土地柄。
日常生活に溶け込んでいる歴史が、文京区の魅力のひとつです。
切支丹坂
さて、そのまま歩を進め、小日向台町小学校を左手に見ながら通り過ぎ、ぶつかった道を右折。
閑静な住宅街を直進していくと、「切支丹屋敷跡」があります。
東京都指定旧跡となっており、表示には
キリシタン屋敷は正保三年(1646)に宗門改役井上筑後守政重下屋敷に建てられた転びバテレンの収容所です。
~中略~
最後の潜入バテレンとなるシドッティ(シドッチ)もここに収容され新井白石の尋問を受けています。
とあります。
日本史の授業で習ったことが、ここであったんだ・・・。
当時を思わせる建物などはありませんが、そこここに歴史を感じる土地です。
この「切支丹屋敷跡」を正面にして右手に少し行くと、左側に細い下り坂があります。
それが「切支丹坂」。

丸の内線の下をくぐっていく坂道です。
その昔、切支丹屋敷に連れてこられたシドッチも、この坂を通ってきたのでしょうか。
なんとなくしんみりしてしまい、もと来た道を戻ります。
切支丹屋敷跡まで来たら、そのまま茗荷谷駅方向へ道なりに進みます。
蛙坂

少し歩くと、右カーブした下り坂が現れます。
これが「蛙坂」。
その後、坂は左カーブへ。
坂の表示によると
『御府内備考』には、坂の東の方はひどい湿地帯で蛙が池に集まり、また向かいの馬場六之助様抱屋敷内に古池があって、ここにも蛙がいた。むかし、この坂で左右の蛙の合戦があったので里俗に蛙坂と呼ぶようになったと伝えている。
とのこと。
先ほど上ってきた陽当たりの良い服部坂の反対方向にあり、ましてや坂の下だと低地なので、湿地帯だったというのもなんとなく頷けます。
緩やかなカーブを描きながら続く坂道を下ると、左手に拓殖大学が見えます。
新渡戸稲造は、この坂道を通って拓殖大学の学長を務めていたのでしょうか。
当時も蛙の鳴き声が聞こえる坂道だったのでしょうか。
そんなことを考えながら、だんだん人通りの多い場所へと近づいてきました。
ゴール
そのまま道なりに歩くと、丸の内線「茗荷谷」駅へ到着。
いつも茗荷谷駅へは、春日通りを歩いて行っていました。
茗荷谷駅の反対側を歩いたのは、今日が初めて。
「車窓から見る高台は、蛙坂を上って行ったところだったのか」
「史跡や見どころの多いコースだったなぁ」
など、新たな発見と魅力がいっぱいのコースでした。
坂道散策をするようになって思ったことがあります。
「坂道のあるところ、高級住宅地あり」
今までの散策コースが、たまたまそうだったのでしょうか?
坂道の高級住宅地は、辿れば江戸時代のお屋敷町。
平地・低地の方が、生活するのに楽な気がしますが・・・。
川の氾濫や火事の際、高台の方が被害を受けないからでしょうか。
それとも、武家は、馬や駕籠に乗るので坂道が苦にならなかったのでしょうか。
そんなことを考えながら、次の坂道散策に思いを巡らせています。

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