胸突坂史跡お散歩ルート~「タモリのTOKYO坂道美学入門」

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こんにちは。はじめです。

8月終わりからひと月以上雨の日続きでした。

10月に入り、ようやく晴れ間が見え始めたので、久しぶりに坂道散策へ。

今回も前回に続き、文京区の坂道。

「胸突坂史跡お散歩ルート」を散策します。

スタート

東京メトロ「江戸川橋駅」1a出口を出たら、神田川を渡ります。

川を渡ってすぐ左にあるのが「江戸川公園」。

かつて江戸川と呼ばれていた神田川に沿って、桜並木の緑道からなる公園があります。

その公園を左に見ながら通り過ぎ、ナチュラルローソンの手前を左折すると、現れるのが「目白坂」。

目白坂

住宅地の中を、なだらかな上り坂が続きます。

坂の下から見た時はわかりませんでしたが、長い坂道です。

そして、上りきるまでにお寺が3軒、神社が1軒ありました。

今まで歩いた坂道に、一つの坂でこんなにお寺や神社があったことはありません。

風情のある坂道です。

東に面した坂道は陽当たりが良く、穏やかな佇まいです。

両側に高級住宅を見ながら坂道を上って行くと、左手に小学校が現れました。

関口台町小学校。

フェンスに「祝 開校100周年 文京区立関口台町小学校」の横断幕が掲げてあります。

先ほどのお寺といい、歴史を感じます。

この小学校の手前を左折。

引き続き高級住宅を見ながらしばらく平らな道を歩くと、突如急な下り階段が現れました。

江戸川公園

遥か下に緑道が見えます。

幾重にも折れ曲がる急な階段を下りると、そこはスタート地点で見た「江戸川公園」。

ここに出るのか。

階段を下りて右に折れ、神田川沿いに歩きます。

少し歩くと、右手に立派な塀が続きます。

塀の向こうは椿山荘。

街路灯も雰囲気があり、絶好の散策ルートです。

10年位前に、この道で赤い靴下を履いた大きな亀を見たことを思い出しました。

「りく」という名で、飼い主さんが台車(ベビーカー?)に乗せてお散歩させていらっしゃいました。

今回は会えませんでしたが、今後もこの道を通るたびに「りく」の事を思い出すでしょう。

そのまま歩を進めると、右手に「関口芭蕉庵」が見えてきました。

江戸時代前期の俳人松尾芭蕉が、延宝5年(1677)から延宝8年(1680)まで、神田川改修工事に参画し、「龍隠庵」と呼ばれる庵に住んだと伝えられている。後に世人は「関口芭蕉庵」と呼んだ。~関口芭蕉庵入り口表示より引用~

「俳人」の芭蕉が、なぜ「神田川改修工事」?

答えは、江戸川公園入口の表示にありました。

(略)~俳聖と神田川上水工事とはまさに妙な取り合わせのように思われるが、彼の前進が伊賀国(三重県)藤堂藩の武士であったことや藤堂藩(藩祖高虎以来築城土木、水利の技術に長じていた)が当時幕府から神田上水の改修工事を命じられていたことなど考え合わせると、彼が工事監督としてこの改修工事に関係したことも納得がいくのである。~(略)

初めて知りました。

忍者説もある芭蕉。

謎めいた人です。

考えながら歩いていると、立派な門が開いた庭園の前に来ました。

「肥後細川庭園 南門」とあります。

「あれ?『タモリのTOKYO坂道美学入門』(以下「本」)だと「胸突坂」は肥後細川庭園の手前だったはず」

思わず振り返ると、ありました。

「胸突坂」の表示。

考え事をしながら歩いていて、見落としていました。

胸突坂

「関口芭蕉庵」を通り過ぎてすぐ。

塀が終わったところで右手にある細い道。

ぐっと見上げるとありました、「胸突坂」!

鼓動が早くなるくらい峻険な坂道を、江戸の人は「胸突坂」と名付けたんですね。東京には同名の坂がいくつか残っていますが、こここそが間違いなくナンバーワンの胸突坂と言えるでしょう。~本より引用~

確かに急だけど、鼓動が早くなるほどではなさそう。

上り始めて、わかりました。

下から見えていたのは坂の途中まで。

ええーっ、まだあるの!?

急な坂が続きます。

まさしく胸突坂!

名前を裏切りません!

上りきったところで写真をパチリ。

下が見えません。

驚くことに、この坂、結構人通りがあります。

なんなら自転車で坂上から坂下に向かっていく方もいます。

地域の生活に密着した坂道です。

坂を上ってそのまま歩き出し、ふと立ち止まりました。

前にもこの道、通ったことがある・・・?

すぐ左手に「永青文庫入り口」の表示が見えます。

そうだ、ずいぶん前に肥後細川庭園に来た時、庭園内を通ってここに出たんだ。

あの時は胸突坂を通らなかったのですが、坂を上りきった後のこの道は来たことがあります。

そういえば、あの時道の左側から応援団員のような声が聞こえていましたが・・・

今は静かで何も聞えません。

当時は「バンカラな校風の男子校があるのか」と思っていましたが・・・気になる。

Googleマップで見てみると、「和敬塾寮」と出ました。

AIによると、

・男子大学生・大学院生を対象とした私立の学生寮

・1955年創立

・約300人の学生が、東寮・西寮・南寮・北寮などの4つの寮に分かれて生活している

・首都圏の約40の大学から学生が集まっており、留学生も多く国際色豊かな環境

・小説家の村上春樹が学生時代に半年間ほど住んでいた

・バンカラや独自の自治活動、上下関係の伝統が色濃く残る学生寮としても知られている

とのこと。

あの時聞いた応援団員のような声は、一番最後の特色が出ていたんですね。

懐かしく思い出しながら、ここから肥後細川庭園を散策することにしました。

今回は「永青文庫」には寄らず、庭園内を通って細川庭園正門へ向かいます。

肥後細川庭園

胸突坂に隣接しているだけあって、庭園内はかなりの高低差があります。

「永青文庫」から池の方へは、こんな階段が続きます。

池まで下りてくるとこんな感じ。

広々とした庭園が見渡せます。

美しい庭園は静かで気持ちよく、ベンチでくつろいでいる方もいらしゃいます。

庭師さんが、木の剪定をされています。

こんなにいい庭園なのに、入場無料なのもうれしい。

池に沿って正門へ向かい、門を出たところでふと足が止まりました。

右手に庭園内からも見えた建物の入り口があります。

その入り口が、なんとも素敵な秋の設え。

「松聲閣」という名のその建物は、昔、旧熊本藩細川家の学問所だったそう。

今は、茶室でお抹茶と加勢以多(かせいた)という和菓子がいただけるようです。

加勢以多・・・初めて聞く名前。

調べてみると

・もち粉でつくったおぼろ種でマルメロ羹(現在はマルメロではなくカリンのジャムを使用)を挟み、肥後国熊本藩主細川家の家紋・九曜紋を焼き付けています。繊細なおぼろ種のさっくりとした口あたりとやわらかなジャムが一体となり、ほのかな甘酸っぱさが広がります。

・加勢以多はもともとヨーロッパから渡来したマルメロの果実を使った菓子で、加勢以多(かせいた)という不思議な名前は、ポルトガル語の「Caixa de Marmelada(カイシャ・ダ・マルメラーダ)=マルメロ砂糖漬けの箱」の二句の発音が訛り❝カセイタ❞になったと言われています。

・千利休の高弟とされた細川三斎公が大変気に入り、江戸時代には徳川幕府や京都の公卿たちへ、熊本を代表する細川家秘伝の銘菓として献上されていました。

~「お菓子の香梅」公式HPより引用~

食べたことのない味!美味しそう!

甘すぎず、お抹茶にもあうんでしょうね。

あぁ食べたい!

しかし四毒抜きをしているので、残念ですが我慢。

でも、こんな気持ちの良い庭園を眺めながら幕府への献上品だったお菓子とともにお抹茶をいただくのは、とても豊かな時間だと思うのです。

食事治療をしていない方には、おすすめしたい時間の過ごし方です。

幽霊坂

さて、肥後細川庭園正門を出て右折します。

ずーっと庭園の塀が道なりに続き、その奥が遠目からも上り坂とわかります。

そうです。そこが「幽霊坂」。

道幅が狭く急な坂道で、両側は高い塀です。

今でこそ塀ですが、昔は木々が鬱蒼と茂っていたのではないでしょうか。

それこそ幽霊が出そうな雰囲気だったのかもしれません。

天気のいい昼間ですが、風が吹くとさわさわと木々の揺れる音がします。

もし、真夜中にひとりでここを通ることになったら・・・「幽霊坂」の名も納得。

しかし、昼間は人通りもあり、雰囲気のある坂道です。

ここを上りきると視界が開け、目白通りへ出ます。

目白通りを渡って「薬罐坂」へ。

薬罐坂

薬罐坂を下り、都道437号線を右折し、護国寺駅へゴールイン。

薬罐坂は静かな住宅街にある、なだらかな下り坂でした。

本には薬罐坂の説明はありませんでしたが、「東京の坂・階段」というサイトによると

やかん坂のやかんとは、野(⾘編に千)とも射干とも書く。犬や狐のことをいう。野犬や狐の出るような淋しい坂道であったのであろう。また、薬罐のような化物が転がり出た、とのうわさから、薬罐坂と呼んだ。

とあります。

今は全くそんなことを感じさせない住宅地です。

昔は目白通りから南側は大名屋敷、北側は淋しい場所だったのかなぁ等と考えながら今回の散策を終えました。

坂道に歴史あり。

今回は大名庭園のあるコースだったため、坂道以外にも見どころのある散策ルートでした。

特に庭園は季節を変えて、見に行く楽しみもあります。

今回のルート、おススメです。

運動不足解消も兼ねて、気分転換にぜひ。

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